実験考古学と人は呼ぶ 『古代ローマの饗宴』の著者ニーナ 8

『古代ローマの饗宴』の著者ニーナは、皇帝ネロの宮廷に出入りしていたペトロニウスがローマ最古の諷刺小説『サテュリコン』の「トリマルキオの饗宴」の場で描いたご馳走のなかに、「骨なしの若鶏」やチーズ菓子「カッサータ」がふくまれていたと推論します。

とりわけ「カッサータ」は、ネロの時代(在位54~68)に人気を博したデザートのようで、これがポンペイに近いオプロンティスの遺跡の壁に描かれているのを発見した彼女は、「現代のシチリアのカッサータとおなじ!」と、直感したそうです。
その後の発掘調査によって、オプロンティスの遺跡は、皇帝ネロの2番目の妻ポッパエアの別荘であろうと、結論づけられました。

それだけではありません。ニーナは考古学者でありながら、『サテュリコン』の作家ペトロニウスが「ブロンズよりも長く、世に残る記念碑を築くことができた」と称えています。
「トリマルキオの饗宴」の贅沢ぶりは、皿数、肉切り人たちのパフォーマンス、引き出物の配り方、すべてにおいて桁外れで、招待客たちは、あっけにとられ、ただ笑うしかない有りさまでした。ペトロニウスはローマ文明爛熟期の、これみよがしな富の演出を、皮肉をこめて描いたのです。

そんな作家が命の危険にさらされるのは明々白々。ペトロニウスは皇帝ネロに対する陰謀を企んだかどで告発され、逮捕が目前にせまりました。もう延命は、望むべくもありません。彼は自ら血管を切り、それでも一気に死に赴くことはせず、いったん傷口に包帯を巻いて、友人たちと饗宴に向かいました。そして、いつものように楽しい会話がかわされるなか包帯を解き、ネロの倒錯ぶりと追従者の名前をずらりと書面に記したうえで、最期のときを待ちました。

 

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