実験考古学と人は呼ぶ 『古代ローマの饗宴』の著者ニーナ 10

最後にひとつ、マルティアリスの詩を1篇、まるごと紹介させていただきます。夢をいだいてローマに出てきた友人に、彼はこんな苦言を呈しています。

セクストゥスよ、どんな夢とどんな希望に導かれてこのローマにやって来たのだ?なにを望み、なにを求めているのだ?
言ってみたまえ。

 

「訴訟を受け持ち、キケロよりも雄弁に論じられるようになりたい」ときみは答える。
「3つの法廷でこの俺に匹敵する者がないぐらいうまく」と。
アテスティヌスもキヴィスも訴訟を受けもった(そうだ、2人ともきみの知り合いだったな)。
だが、彼らは家賃も払えないありさまだった。

 

「その方面でじゅうぶん稼げないのなら、俺は詩を作ってみせよう。
きみが聞いたら、ヴェルギリウスの作品かと見まがうようなやつを!」
おい、おい、気は確かかね。ここらでぼろをまとっているのは、
みんなオヴィディウスやヴェルギリウスを気取る連中だ。

 

「では、権力者の取り巻きにでもなろう」
そんな身分で暮らせるのは、せいぜい3~4人がいいところだ。
他の奴らはみんな、死ぬほど飢えに苦しんでいる。

 

「ではどうすればよいのか教えてくれ。俺は
なにがなんでもローマで生活したいのだから!」
きみが正直者だとすれば、セクストゥス君、
ローマで生きてゆけるのは、まぐれでしかないのだよ。

 (マルティアリス『警句集』3、38)

はて、これはどの時代の、どこの場所をうたっているのかと、つい錯覚してしまいそうです。21世紀の今日、2000年前の詩人が『警句集』や『諷刺詩集』に描いた首都ローマは反面教師。一極集中で拝金主義がはびこる都会の行く末は、他人事とは思えません。
2011年に『古代ローマの饗宴』が文庫化されたとき、著者のニーナは日本を襲った大災害に心を痛め、印税を全額、フクシマの被災者に寄付させてほしいと、出版社に願い出ました。

それから4年後、『古代ローマの饗宴』の著者ニーナは、93歳で別空間へと旅立ちました。大胆な仮説をたて、論争をおそれず、想像力にあふれた彼女は今ごろ、古代ローマの友人たちと会話を楽しんでいることでしょう。「スマホで読める私の本よ」と得意そうに、周囲を煙に巻いているかもしれません。

 


 

 

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