1983年に夏の京都で、考古学者エウジェニア・サルツァ・プリーナ・リコッティさんと出会いました。
連れのイタリア人たちがニーナと呼んでいたので、26歳年のはなれた私もつい気安く、ローマ法王庁考古学アカデミー会員である彼女を、ニーナと呼ぶようになりました。
好奇心旺盛で、漆のお椀や和食の調味料になみなみならぬ興味をしめし、高速道路のインターチェンジで食べたうどんを「このスープに脱帽! 日本で食べたどの店のパスタよりおいしい」と喜ぶ、味覚の持ち主でした。
3日ほど行動をともにして出発する日、ニーナはずっしり重い『古代ローマの饗宴』を鞄から出して言いました。「夫を亡くし、寂しさをまぎらわせるために、60歳を過ぎてはじめて書いた私の本よ。大学で建築を学んで以来、ずっと遺跡の調査をつづけてきたけど、これは学術論文とはちがってね。若い頃に読みあさった古典に基づき、古代ローマの政治家や詩人がどんな宴会に出て、どんな料理を食べていたかを、90種類ものレシピを作って復元した、ユニークな歴史書なの」
(エウジェニア・S・P・リコッティ著『古代ローマの饗宴』エルマ出版、ローマ、1983年)
『古代ローマの饗宴』は、たちまち私を魅了しました。
イタリアを愛する日本人がつねに直面する歴史の壁。イタリアの中学生や文系コースの高校生が、今なお週に3~5時間かけて学ぶラテン語とその文化を、明治以来、軽視したまま工業化へ突き進んできた日本。
著者は〈食〉を切り口にして、古代ローマ興隆期の約400年の歴史をたどります。ヨーロッパの源流にさかのぼり、理想や欲が渦巻く人間社会の変転を、まるで見てきたかのように、発掘品と古代の文書で語るのです。読みすすむにつれ、翻訳への夢がふくらみました。